瀬良織物はこんな会社

 
品質と格調の高さ演出、和の伝統を伝える

壮麗な金襴

中国から伝来し、江戸時代以降は日本でも織られるようになった金襴。模様の一部に金糸を織り込んだ織物だ。人形衣装に使う代表的な布地で、仏具や袋物にも使われている。
瀬良織物(株)(瀬良直哉社長)は、金襴専門商社として事業を展開してきた。

瀬良織物では、ひな人形や五月人形などを展示販売する「人形センター瀬良」も運営している。12月早々、福山市沖野上町にあった同センターが卸町に移転オープン。日本の伝統を継承しようと、品質・格調とも高い品をそろえている。

 

卸町に人形センターを移転

瀬良織物本社

福山市沖野上町の福山医療センター裏にあった人形センターは、もともと瀬良織物の倉庫として使っていた。常連客の要望に応え、小売用のスペースとして約三〇年前に整備し、オープンした。

このほど卸町に移転したセンターは、瀬良織物本社に隣接。年末までは、ひな人形や羽子板、破魔弓などを展示・販売している。年明けから2月末にかけてひな人形、3月から4月までは五月人形など、季節に応じて展示品を入れ替える。

そのほか年間を通じ、手芸材料や仏具用品、一般の日本人形が並ぶ。

瀬良織物は問屋を介さずに全国の職人と直接取引している。そのため、高品質の品を比較的廉価で提供できる。そうした強みを生かし「新しいセンターでは、品質と格調の高さを前面に出していきたい」と瀬良社長は話す。

瀬良織物本社がある卸センター一帯では、日曜や祝日にも人が集まる活気のある町にしようと、小売志向が強くなっている。人形センターは集客に寄与することも期待されている。「買い物目的でなくても、気軽に立ち寄って見てもらえれば」と瀬良社長。

瀬良直哉社長

関西以西唯一の専門商社

 移転オープンした
「人形センター瀬良」

瀬良織物は1927(昭和2)年、瀬良社長の祖父が桜馬場町で創業した。もっとも、それ以前から個人で機織りなどをして京都の業者に卸していたとされ、実際の歴史はもっと長い。職人だった初代は掛け軸などの表具用の金襴を作っていたといい、一貫して金襴織物の製造を続けてきた。

1966(昭和44)年に法人化。製造部門を縮小し、卸売専門の会社となった。
1976(昭和51)年に卸センターへ本社を移転し、現在に至っている。全国に一〇社ほどある金襴専門商社のうち、関西以西は瀬良織物が唯一だ。
取り扱っている商品の約60%が人形用の金襴。25%が仏具関係で、あとは土産用袋物、七五三の衣装用などとなっている。
「下機」と呼ばれる下請け業者は福山市内をはじめ、京都や群馬県桐生市が中心。卸し先は、東北から九州まで全国に広がる。
本社の保管スペースには、金襴がズラリと並ぶ壮観な光景が。全てに番号を付けて管理しているので、指定すればすぐにお目当ての品を確認できる。

生活様式の変化などが課題

伝統産業ゆえに直面している問題もある。少子化やライフスタイルの洋式化に伴い、人形の需要が減少傾向にあることだ。また金襴のデザインも、子どもの祖父母の好みでなく、母親のセンスに合わせる必要が生じている。

若い世代の母親は「かわいい」「きれい」なデザインを好むとか。ただし、あまり迎合しすぎると伝統の色彩が薄れるリスクもある。現代的な要素を取り入れながら、いかに伝統を継承していくかが課題となっている。

ひな人形が並ぶ人形センター内

ライフスタイルの変化に、いかに対応するか。瀬良社長は「狭いスペースでも、インテリアとして飾ることができる高級品を提供していきたい」としている。

ひな人形、五月人形は季節商品。例えばひな人形なら、「桃の節句に女の子のいる家庭で飾る物」という固定観念がある。「節句だけでなく、好きな季節に誰でも好みのひな人形を飾れるようになれば」と瀬良社長。新たな人形との付き合い方の啓発にも力を入れたいと話す。

伝統文化を守り、伝える決意

羽子板や破魔弓も豊富

苦労はあるが、それに勝る喜びもある。「扱う品は全てきれいな物ばかり。美しい商品を扱えるのはうれしい」という。和食ブームや2020年の東京五輪開催で「和」の文化に注目が集まるなど、追い風も感じている。

現代日本では昔ながらの伝統行事が、ハロウィーンやバレンタインなど西洋渡来のイベントに押され気味。「それだけでは悲しい。伝統行事の多くは、平安時代から脈々と続くもの。ゼロにはしたくない」と決意をみなぎらせる。

会社概要

会社概要
社名瀬良織物㈱
代表者瀬良直哉社長
所在地〒721-0954
福山市卸町15-1
TEL084・920・3611
設立1927年10月1日
事業内容金襴製造・卸
資本金1500万円
従業員数10人